1996―    1月3日 ’06

 間違いました―。それもよりによって新年早々の年賀状で・・・・・。
 それも、だれもこんな間違いしないよな―というような年号の間違い―。
 1996年――と打ち込んで印刷して・・・、そしてその上、その間違いに気付いたのが投函して何日か経った正月の2日―ときては、後の祭りというか面目ないというか赤面のいたりというか穴があったら入りたいというか呆れるというか・・、もう何をかいわんや・・・である。皆様には寛大なお心で笑ってやってください・・・とお願いするよりありません。初笑いになりましたようでしたら、私も気持ちが楽になります。間違った本人が言うのも何なのですが、たぶん実害はないと思いますので・・・。

 ・・・で、私なりの「間違い」の考察―(??!!)。
 計算を間違う、字を間違う、道(道路)を間違う、また別の意味で道を間違う(人生の・・・でもこれはやり直しがきく場合の方が多い・・と思う)、名前を間違う、日付、時間を間違う、場所を間違う、場を間違う、相手を間違う(意味が深い・・??)、手段を間違う、考え方を間違う、言葉使いを間違う、入力を間違う(ITの現代ならでは・・)・・・・・・・。

 得意の!?あいまいにいい加減に大雑把にアバウトに分類してみると、1、能力が追いつかずに間違う。 2、記憶が定かでなくて間違う。3、思慮分別が足りなくて間違う。4、注意力、集中力が散漫になり間違う。5、無意識にうっかりと間違う。

 とすれば、私の年賀状の年号間違いは、5、に入るのでは・・・。
 無意識・・というのがけっこうミソらしい。意識の上にはのぼらないが、深層にはある・・というような・・。で、無意識とかうっかりに、けっこう本音の部分が出たりするらしい。(・・とは何かの本で読んだような・・)
 ・・とすれば、ひょっとして私の深層心理には、時が進んでほしくない・・・、昔に戻りたい・・・というようなことがある・・ということになるのだろうか。これは別に深層・・とかでなくても、なるほど、なるほど・・・さもありなん・・ではあるのだが・・。
 ひょっとして時代のあまりにも早い変化に私のペースや思いが合わなくなっている・・ということでもあるのかもしれない。スロースローでゆっくりとゆったりと・・・というのも必要なんだろうな・・・と思うこと多いにあり―というところでもあります。
 
 間違いと物忘れは別ものでしょう―。すっかり忘れてしまったら間違いようもないのだから・・。
 それにしてもうっかりの間違いが多いのはあまりほめられたことではない。そそっかしいようでもあるし、いい加減なようでもあるし(実際そうじゃないか―といわれればそうかな・・)、気持ちに余裕がないような感じがするではないか・・・。気をつけなければ・・である。まあ、ふつうは間違いようもないような間違いをすれば、今後はぜったい気をつける筈なので・・・。で、他人の間違いにも寛容になる筈・・と思いますので・・。
 それと気をつけなければならないのは思い違いや思い込み。それに気が付かないでいたりすること・・。
 年とともに・・!? 気をつけよう、気をつけよう・・・・・。
 それでもやっぱりどこかで間違う。人間だもの―。間違いや失敗や挫折・・・から何かが生まれ人間も成長する―ってこともありますもの・・・
・・。
 

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