BOXティッシュペーパー  9月13日’02

 BOXのティッシュペーパーがアメリカから日本に入ってきたのはいつ頃だったのだろう・・。ちょっと定かでないけれど多分60年代の中頃だと思う。出始めの頃、TVでBOXティッシュペーパーのコマーシャルが流された。それはBOXから次々にどんどんティッシュが引き出される映像だったように思う。
 それを見た時に感じたことが、なぜか今思い出される。 ーー何だかこれって大量消費の象徴みたいだな・・ よく?考えたもんだよ・・
 それがまたたくまに、それを使うことが普通にごく当たり前のことになっていった。本当にまたたくまにーー。

 写真家の藤原新也さんの著作、発言記録、「沈思彷徨」に興味深いことが書かれている。
 「アメリカ国家は幻想なんです、彼らにとって。」 
 旅をしていると、常に心のどこかで一介の旅行者にすぎないというコンプレックスがあったが、アメリカでは不思議にそれが感じられなかったという。それは、アメリカ人自体が、いまだにここではない何かを求めている旅行者だからで、だれも定住していない。そしてそれは彼らの永遠の宿命なんだと思う・・と。

 ある意味、BOXティッシュペーパーが私が最初にイメージするアメリカの象徴。ファーストフードもそうだけれど・・。
 
 それぞれの国、それぞれの地域で、それぞれの自然環境に合った、受け継がれた、知恵を集めての人々の生活、暮らし方がある。この決して広いとはいえない日本の中だってそれぞれの地域の自然に合った(合わせた)暮らし方がある。ましてやこの地球上では・・。
 
 「沈思彷徨」より
 −旅をしていて、砂漠で感じた「私」と雨の多い地方で感じた「私」というのは、ものすごく違う。・・ 砂漠ではまわりに何も有機的な関係がなくて、自分の身体だけに湿気があって、それが蒸発するともうなくなっちゃうんだなァという、皮膚を境としてまわりと敵対している。そのときに、自分というものを、強烈に感じたんです。・・
 温帯地方では、砂漠で「私」と感じたものとまったくちがうんです。そこでは「私」はあるんだけれども、それがどんどん広がっていって、最終的には全部とつながっていく。・・ 湿気というのは皮膚が濡れて、外界に湿気があって、そことしぜんとつながっていくというような要素がありますね。ところが、砂漠の場合は、皮膚の外と内と全く遮断される。・・・

 日本やインドに汎神教が起こったのは、自然が多様だからで、イスラムで一神教が成立するのは過酷な砂漠と空だけという自然の単一に負うところが大きいという。
 イスラムのコーランというものを、よく解らないで、ずいぶん戒律が厳しいんだなァーーとか思ったりしていたのだが、過酷な自然だから、社会をうまく維持していくための理念が必要で、それがコーランになったのだという。それは法律に近い・・。
 広大な土地の中で限られた数量の生命のみが生きることを許されてきたというところもあるという。
 女性がベールで身体を隠すというのも、女性差別のように感じたりしていた。そして、ラマダンのこと。それもこれも、過酷な自然の中で、民族を維持していくために、食に関する欲望、人口を増やす性に関する欲望に禁欲的でなければならないからのことだとのことで、なるほどと思ったことでした。

 西洋の世界観が人間中心であり、東方の世界観が自然中心だということも、自然環境がそうさせているのだと・・。
 
 まったく違うベースがあり、まったく違う世界観で生きる人々が、その自然環境から離れて、消費と快楽をひたすら追い続けなければならないような資本主義的な要素で染められていく時、差別や貧困や何やらかにやらが、ものの見事に顕になってきてしまうのではないだろうか・・。

 暴力、武力攻撃では、何も解決しないのではないだろうか・・と思う。殆どの場合、暴力は新たな暴力をしか生まないと思う。
 "核”というものがあって、ミサイル攻撃が可能で・・、などと恐ろしい世界だ。戦争は破壊するだけー。

 地球の人口が60億を超え、80億(一説には100億??)までいくという。飢餓で苦しむ人、水を得られない人々が増える。パイが限られているところでの人口増加の問題。これはほんとに大大問題・・。
 力を持つ国が富を独り占めすることは益々許されないことになっていく。貧富の格差、"パン”の有無が、争いの火種になる・・。肉食を減らせば穀物がもっと人々に行き渡る・・のかな・・。

 自然環境に合った(合わせた)その地域地域の身の丈にあった暮らし方で生きる・・というのが、やはり最善なのだと思う。

 そしてやはり農業は基本的に大事なことだと思う。日本人の食生活が、戦後キッチンカー(でしたか・・)をまわらせ、小麦を使った料理など欧米風な料理を普及させたのが効をそうしてか、学校給食でパンや脱脂粉乳を出されたのが影響してか、食生活が急激に欧米風化して、米が余るようになり、今は4割近くが減反となっているけれど、これも何だかわりきれないような感じがする。それに呼応して、輸入食料が年々増え続けている。・・わりきれない・・。貿易黒字の穴埋めにされてもね・・。
 
 有機農業の基本的な理念"身土不二”ということを、もっと考え直されてもいいのでは・・と思う。
 暮らしているところの土から取れたものを食べるのが、身体にとっても一番いいのだということ。
 それぞれの地域、それぞれの暮らし方。基本的なことを見直してみなければならない時かも・・。
 

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