節目    9月12日’05

 前に書いた時からもう一年が経とうとしている。ちょっとこれはどういうことだ――ではないか―。書こうとはしたのだが、何度か頓挫してしまって今に至る・・・である。気まぐれな・・・・なのだから気楽に書けばいいのだが、なんとなく支離滅裂というか、いったい何を書きたいの・・???みたいになってしまって止めてしまった。
 よくよく??考えてみたら、一応は!営業用でもあるHPなので、あんまりホンネのホンネを書いてしまえば拙いことも多々あるし、プライバシーに関わってくることなどもちょっと・・ということになると、書くことは、結局当たり障りのないことになってくる・・・・。でもそればかりじゃやっぱりつまらない・・??
 何をどこまで書くのか・・・、ジレンマ(・・何を大げさな―)に陥るのである。
 でもやはりチャレンジ精神でもっていってみましょう!・・・人生は一度きりなんだ!!(ハァ〜?ン?)
 
 衆院選挙は、小泉自民党の大躍進―。これって、小泉さんのパフォーマンスの人気投票ではないんですよね・・?? 郵政民営化だけでなく、年金は、憲法は、福祉は、教育は、農業は・・・大丈夫なんでしょうか??
 でもどこかで、“♪♪〜今日の雨 傘がない〜♪♪”の方が大事だったりするから、しょうがないもんですが―。
 
 地球上のすべての人が幸せにならなければ、個人の幸せはない・・・・とどなたかが、また先日は寂聴さんの天台寺の講演(法話ーと言ってくださいよ)がTVでちょっと放映され、そこでもおっしゃっておられました。

 すべての人が幸せになることってどういうこと?どういう状態?幸せって何??
 衣食住がまず満たされること(私の感覚では食住衣)。愛する人がいること。自由であること。・・・・・かな・・???。
 今なお何億の人が飢えに苦しんでおり、どこかで武器を持った争いが絶えない・・すべての人が幸せになる日はいったい来るのか、可能なのか・・。不可能なら個人の幸せはつまるところないということになるのか・・??
物事は考え方というから、何事もどんな状態でも幸せと思えば幸せなのか・・?。(得意?の支離滅裂になってしまいそうです・・)

 30年畳替えもなし、手入れもなし、断熱材もなし―で暮らしてきて、ずいぶんあちこちが綻んできた家をリフォームしたいと思った。思ったときが実行のよい機会(そう―思い立ったが吉日―というではないか・・)と、なぜかほいほいと乗ってきてはくれないアチラさんに、「リフォームしたいけど、どうしたいとかある?」と聞く。「別にない―」というので(普段も殆ど会話のない夫婦なもので・・・すみません・・ッテコウイウコトカイテイイノカナ・・??)、私が見積もり依頼などをして話を進めてきた。何故か西向きに作ってしまった家なので建て替えた方がいいかな・・とも思ったのだけれど、すべて解体するのではなく、柱や屋根など使えるものは残してのリフォームがと考えた。折角だからできることなら自然素材を使ってということで半年位をかけて話を進めて見積もりを出していただいた。
 ところが、今まで何も言わず、話にも全く加わらなかった(というか自分の部屋は何もしなくていい―とは言っていたが―)アチラさんが、最後の最後にダメだし。無理をして進めてもよくないだろうと、リフォームは中止ということになった。
 そしてそれにはもう一つの理由がある。私がリフォームをしたいと言った直後に、アチラさんが宿泊所の建設を大工に頼んだので、限られた資金がそちらの方に入りようになってしまった。75坪2階建ての大規模な建物が建前された。今屋根に瓦を乗せていただいている。今後はセルフビルドでやるつもりではいるらしいが、それにしてもどでかい宿泊所になる。私は「こんな大きくなくても・・」と思いながら見ているだけ。「俺がやることだから―(口出しするな―)」 
 なんだかいろいろ考えてしまいます。子育ても終わった50代は人生のある意味節目なのです。
(・・・・こういこと書いていいんでしょうか・・・ね?)
 
 
 

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