春なのに―  2月26日’03

 この冬はいつもの年と違い、長者原は冬中雪の中ということになってしまった。
 春の足音も聞こえてくるこの頃は、標高1000mとはいえ日中陽が照れば雪の融け方も速度を増すのだが、やや融けたかな・・と思うとまた降りだす・・というようなことが続いている。
 3月の声も聞かんとする今頃は、そろそろあの種やこの種も蒔かなければ・・とやや気持ちが落ち着かなくなってくる時季でもある。また廻る季節の、種を蒔き日々の糧となる作物を育てる新たな始まりの春がもうすぐ訪れる―。

 春なのに〜♪♪・・という歌がありましたね。誰が歌っていたのか、 その後の歌詞もちょっと忘れてしまって今は思い出せないけれど、春なのに〜・・というそのフレーズだけが印象的に浮かんでくる。春は別れの季節でもあるから、なんかそんなふうな歌詞だったかも・・。
 
 でも今、春なのに―、戦争の準備が着々と進んでいる。長男が小学校を卒業する時に行った広島の平和祈念公園の「過ちは二度と繰り返しません」とい言葉が虚しく感じてしまう。
 ある大学の教授が新聞に「・・裁判制度や法秩序は、どこかに強制力がないと機能しない。国際秩序はなおさらのことである。そして、強制力の基礎は武力である。・・」と書いておられた。状況によっては武力を行使する意志があって初めて、平和的交渉が可能になるのだ―と・・。核の抑止力・・とかいうのもその論理なのでしょうが、行使されたら世界は破滅するのでは・・・。
 怖い世界だと思う。ほんとに危ういところに立って暮らしているような感じだ。
 富の偏り、超強大国と発展途上国の格段の差、地球人口の増加と食料問題、深刻な問題がますます増えていく・・・・・・。世界の秩序を保つのも大変でしょうけど、戦争して何か良くなるの・・・???

 娘が中国に興味を持ち、中国に留学したい・・と折に触れ口にしていた。私が「資金を自分で稼いで行くのなら行けばいいじゃない・・・」と言って後押しした形で、それまでやっていた就職活動をやめてアルバイトを掛け持ちして資金を貯めた娘は、自分で留学先を選んで手続きをして2002年の9月、中国に一人渡った。日本人のあまりいない所と思い選択したところは、北京から国内線の航空機で1時間ほどのところだが、やっぱり日本人はいたそうだ―。

 中国の上海、南京へは、私が半世紀の○○歳(といって○○もないものだが・・)になった記念!? に、21世紀の始まりでもあるし(あまり関係ないか・・)と2001年の2月に娘と一週間ほど旅をしてきた。
 自由にその日その日、何処へ行こうか・・というふうなその旅で、娘は益々中国への関心を大きくしたらしい。(その時の旅で私が見た中国はこちらです。)
 
 数年前は、「旅行に金を使うなんて気が知れない・・」とか言っていた娘が、9.11の後アフガン攻撃が始まろうとしているそんな時に、もう予定しているからと、インドへ旅してすっかり「インドはいい―」と言い、今は休みを利用して、中国雲南省へ行き、そこもよかった―と、そしてまたラオスに入っては「人々もおだやかだし、メコン川の夕日がいい・・」と言って、もうすっかり旅にはまっている感じである。今はベトナムらしい。娘の興味は一貫してアジアに向かっているようだ。

 いろいろな情報が入ってくるとはいえ、そこに行ってみなければ感じることができない、人々の暮らしの中の息づかいがある。日々の暮らしの中ではやはりどうしても澱みのようなものが溜まってきたりするが、ここでは人々がこんな暮らしをしているんだ・・・という感動が、その澱みを溶かしてくれたりする。旅ではすべてが新鮮に目に映る。いろんなものを自分の目で見、自分の五感で感じたらいい。若いうち―ということもある。 ――私のこと書かないでよね・・と言われてるから怒られるかもしれないけど・・・。

 地球は広いけれど、小さな一つの星。何処でも同じように人間は泣いたり笑ったりして暮らしている。
 普通に暮らしている人達が巻き込まれて犠牲になる戦争はどんな理由であれ反対です―。


 
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