5年ぶりの帰省   ’04-2月2日

 5年ぶりに郷里の米沢に帰省した。留学先の中国から先月帰国した娘と、車で6時間の大?移動。
 その日は、福島で戸来さんご夫妻宅に泊めていただく。戸来さんは、ゆい農園の畑で大豆を作って味噌作りをする「五人百姓の会」の会長さんで、去年の夏に仕事の関係で茅ヶ崎から福島に住まいを移された。今回はご新居への記念すべき!?第一回目の訪問。郷里米沢への途中で、しかも米沢には栗子トンネルを越えればすぐなので、これからお邪魔させていただく機会は増えること確実と勝手に決めている私です。レトリバーの“櫂”くんも大歓迎してくれ、美味しい手料理と福島の地酒の心地よいほろ酔いで、戸来さんご夫妻に甘えてつい夜遅くまで楽しい時を過ごさせていただいたことでした。
 
 翌日は朝7時過ぎの早立ちで米沢の実家に―。栗子峠にかかるとけっこうな雪が降っている。
  「うわあ!雪国だあ!」 娘いわく 「生れたところでしょうに―」
 
 今度の帰省というか旅のもう一つの目的は、6年前に一年間住んでお世話になった高畠町(米沢市の隣の町)に行くこと。私にとっては飛びぬけてと言えるほどの大切なそして貴重な6年前の高畠での一年であった。
 とことん・・とまでとはいかなくてもけっこう自分自身と向き合い、退っ引きならない(一応その時はそういう認識・・)状況で出会った高畠の人たちは、気さくで優しくふところ深くも立ち入り加減が程よく、それぞれの人がそれぞれにとても魅力的な方々で、その一年の間にとてもお世話になったことでした。
  
 高畠でお世話になった方でお二人の方が、昨年に若くして亡くなられたことを知り、そのこともあって高畠に伺うことにしたのでした。
 お一人の方は、それほどまでにと思うほどにいろいろな会に参加し世話役を引き受けたりもし、私がお世話になっていた「屋代村塾」(早稲田大学の教授をしておられた故大塚勝夫先生が故郷の高畠町屋代で始められた)にも積極的に関わり、そこの畑での野菜作りなども一緒にやってくださったとても元気に動き回っていた方であった。昨年に定年となりこれからこそ十分な時間でいろいろできるだろと思っていた矢先の病死ということで、未だに信じられない思いがしてならない。残念・・・・、だがどうしようもない現実・・。
 もう一人の方は、私と同じ年の女性の方。物静かでしっかりした有能な方で、これっぽちの愚痴や弱音を口に出すこともなく、小柄な体に余る仕事を一手に引き受けて働いていた方であった。「屋代村塾」の活動にも関わっておられ、かねがね素晴らしいいい方と思っていました。

 今回また高畠で懐かしい方々にお会いできて、飾らずにありのままで迎えてくれる高畠の方たちの素晴らしさとあたたかさを、またまた心に沁みて感じました。
 亡くなられた方にはもうお会いすることも叶わないと思うと残念でならないのですが、亡くなられた方が一方で生きている人を結んでくれているような気もします。
 
 今年は53歳で亡くなられた故大塚先生の7回忌の年になります。
 「共生」 「農的生活」 ということを言っておられた先生が、自衛隊の紛争地帯への派兵という時代の転換をどう見てどう言うのでしょう・・・。
 
 何でもその当事者でなければ解らないということがあります。解ったような気になったりはするようですが・・。
 復興支援――と強調しながら、それなら武器は要らないではないか・・と思うのですが、そこは未だに紛争が収まらないところだから、武器を携えて行く・・・。
 自衛隊員はまだ若く、幼い子供を持つ人も少なくないのではないでしょうか・・。
 ご家族の思いは如何ばかりなのでしょう・・・・・。当事者ではない私たちの想像を超えるものがあるのではないでしょうか・・・。
 ある種の無力感、疑問、困惑、不安――というような中で既成事実だけがどんどん進んでいく。
 時代のこの方向転換が大きくならないことを祈るのみです。

2月4日付け「信濃毎日新聞」紙上で『二本山プロジェクト』というのがあるのを知りました。
  自衛隊員の弟さんがその心情を童話に託して吐露しておられます。


 

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