草取りってすごい!  9月23日’07

 思いが沢山に込められたとても長い手紙を戴いた。そういえば・・むか〜しむか〜しに長い手紙を書いたりもらったりしたこともあったような・・だが、最近はトンとそういうことがなかったので、一瞬その“重み”にたじろぎ(?)、そして嬉しく有難く感激して読ませて戴いた。

 手紙の主は、8月3日から一週間、農業体験ということでゆい農園に滞在して、何の畑やらというようなまるで緑の絨毯のような人参畑の草取りや、出荷作業などを手伝ってくれたゆいちゃんとももこちゃん。「自由の森学園高校」の2年生。聞くところによれば、授業は教科書は殆ど使わずに、いろいろなテーマでディスカッションするような形を取っているらしい。そういうことで日頃から“考える”ということが身についているのか、まるで緑の絨毯のような人参畑の草取りを日がな一日ただひたすらにやりながら、いろいろなことについて考えたようだ。

 実際やってみると解ると思うのですが、ただひたすらにする草取りは、単純でつまらなさそうと思われるかもしれませんが、それがまたはまってしまうと面白い。取ったあとはすっきりきれいになって成果がすぐ目に見えるし、なにしろそれだけに集中してある意味無心に近い状態になれる。そしてまたいろいろなことに自由に思いをめぐらせることができる。毎日毎日365日延々とというわけではなく時々それが入るからいいということでもあるだろうが・・。

 そんなことで(?)、ももこちゃんとゆいちゃんは、草取りをしながら、自然の力と人間(自分も含めた)について、野菜を作るのに費やされる時間や手間隙大変さについて、はたまた貨幣経済について、時間について、そして自分自身の生き方にも思いをめぐらせていた。
 素晴らしいことではないか―。人生いろいろだから時には傷ついたり悩んだりつまずいたりもするけれど、そして尚伸び伸びと成長している若い純粋な心が、一週間の農業体験で純粋に反応し捉えた感想、疑問。手紙に書いてくれたことは、その思いを改めて自分自身で再確認することでもあるから、またとても嬉しいし素晴らしいと思う。一部引用させていただきます。

 『・・・・・たくさんの植物や虫たちが、同じ土の上で毎日、私と変わりなく好きに暮らしていて、私はそれに気づいていなかった。植物は毎日、つまらない暮らしを送っているだろうと思っていたけど、あの太陽の下で、私よりも生き生きとしていたのは周りの草たちで、すごい力だなー。と日々思っていました。それから、他の生きものたちが暮らす中で、野菜を育てながら一緒に暮らすのは大変だけれども、生きているものたちが満ちている中に私もいられて気持ちがのびてやわらかくなりました。私はそんな虫や植物がそれぞれ暮らしている中で、どういう風に暮らそうか・・・、なんてちょっと考えたり。・・・・・』

 『・・・・・雑草を抜いていると、雑草も同じ様に生きているんだよなぁ・・とふと思った。すると人は生きる為に、色々な犠牲の上に成り立っているんだなぁ、と感じた。・・・・・草を抜いていると、時間の流れがとても不思議な流れでゆったり大きく流れているのに驚いた。・・・・・私は自分の時間の使い方が不思議になってよく分からなくなった。・・・・・自分はそういう目的というより本質的な部分が無いのではないかと思った。生きる為に私は何ができているんだろう?・・・・・農園で草抜きをして、私は本当に毎日こんな仕事をしているなんてすごいなぁ・・・と心底思った。そしてこういう様に働いて育てている野菜を、私はお店でいとも簡単に買っていた事を思い出した。そしてすごく恥ずかしくなった。私はその買った野菜に対して、その野菜にかけられたいる時間や手間隙を何も考えていなかった。・・・・・草抜きをしながら私は色々考えた・・・と思う。草抜きでこんなに色々知る事が、考える事ができて、自分でも本当に驚いている。なんというか、草抜きってすごい!私は育てる大変さと、太陽、自然の力の強さ、すごさを身をもって知れて本当に良かった、と思う。そのおかげで自分が生きている事を見つめる事ができた。そしてこれからどう生きていくかも考える事ができた。・・・・・』

 「わら一本の革命」「自然に還る」などの福岡正信氏が書いておられた「農業(自然農をさしているのだと思いますが)は祈りであり、最も神に近い・・・」というようなことを思い起こさせてくれるような気がします。触発されて我と我が身を顧みたことでした。ゆいちゃん、ももこちゃんほんとうにどうもありがとう――。


 

HOME  「気まぐれなエッセー」トップに戻る