次男3歳、長女2歳
の頃
  
身も蓋もない・・!?
  5月11日’02

 それを言ってしまえばお終いよ・・、それを言ったら身も蓋もない・・ということが、多分、おそらく、数多くある。
 だが、その"身も蓋もない”ところに、意外とー真実!?ーがあったりする場合があるようで、その辺りがなかなかもってややこしいというか、むずかしいというか・・。
 これは"身も蓋もない”ことになるのかどうかわかりませんが。世の中は明日(5月の第二日曜日)は「母の日」ということになっている。「母の日」はお母さんに感謝してカーネーションの花を送りましょうーと。お花などを子供にもらったら、うれしくないはずはないから、それはそれでいいことでしょう。(なんか素直じゃないかなこれー)
 うちの子供たちは、どういう心境の変化があったのか、もう中学生の頃から、私のことは「喜代子さん」、父親は「啓盟さん」と呼んで、お母さん、お父さんーなどとはそれ以来呼ばれていない。私としても、大きくなった子供は親と子ーというよりも、最も身近(気持ちのうえで)で親しい友人ーという感覚のほうが勝っている感じなので、多分「お母さん」などと呼ばれるほうが今や照れくさいだろうと思う。だからーでもないけれど、「母の日」だからといって特別なことはない。でも去年は川越から"芋羊羹と駄菓子”を送ってくれたっけー。珍しく・・なんていっちゃわるいかな・・

 「親孝行」っていうことがわからないー何ていえば、これはそれこそ身も蓋もないーかな!?
 たしか前に五木寛之がある本に書いてあった.。子供は生まれた時点で、そして無邪気な天使のような笑顔で親を喜ばせ幸せな気分にしてくれる生まれて何年間の間に、最高の「親孝行」をしているのだーというようなことを。
 それって本当にそうだーと甚く同感した。子供を育てることって、そりゃあ泣きわめかれて大きな声を張り上げてーなんてこともあるけれど、楽しませてもらってる部分がはるかに大きい。私としては、子供に感謝されるより、子供のほうにこそ感謝したいという感じだ。(何かカッコよすぎ・・?かな)
 だから世に言う「親孝行」というのがよくわからない。これは、親と子の立場を逆転させるトリック!?なんじゃ・・なんて、"素直”じゃない私は思ったりしてー。私は私の親には、ここ何年か前から、その日にいくらばかりかの小遣いを送ることにしている。これはある意味で確かな親離れ(この年で・・もなんなんだけれど・・)の宣言のような意識もなきにしもあらずなのである。どこか寂しさを感じるような・・。
 "親”って、"木の上に立って見る”なんですよね。漢字って意味が深いというか、考えた人は誰なんでしょう・・なんておもったりして・・。実際はこんなに達観することはとても難しい場面が多く出てきたりもするんだけれども・・。

 親が子供を見るのは当然だけれども、"子供が親を見る。看る”というのは人間だけだという。動物の生態に詳しいわけではないから、確かにはいえないけれど、そのような気がする。ちなみに"自殺”するのも人間だけらしいが。動物は自分で食い扶持を得られなくなったらそこで「死」を迎えるのだという。厳しいといえば厳しいのか。それが自然なのか。
 私も今は子供の世話にはなりたくないーなどとは思っている。子供は子供で自分なりの人生を創り歩んでいってもらえば、それ以上望むことはないーと。それが私にとっては、子供の"親孝行”だと思える。
 自分の一番身近な存在の者が、どんな人生を歩んでいくのか、見ているのも楽しい。(語弊なきように・・?) 子供の世話にならないために、これからの自分の人生、考えてみましょう・・。
 (今日はちょっと変なことを書いてしまったかな・・??お見逃しあれ・・)
 (12日長男がグリーティングカードを送ってくれた。どうもありがとう。)
 

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