No thinking  6月11日’08


 今年は、今のところいい按配に適度なお湿りがあり、畑の野菜たちも大方は順調な生育振りだ。・・・なのだが、ここ数年特に困っているのは、モグラの穴に入り込んで悪さ(人間の側から見てだが・・)をする野ネズミの害。昨年植えてもうすぐ収穫の玉葱は半分以上3分の2位は根元を齧られて無くなってしまったし、アスパラの根っこもどうも被害に遭ったようで、今年は疎らにしか芽が出ず、収穫を断念した。無農薬だし土壌消毒もなしだから「ここは天国!」とでも廻りの畑から集まってくるんだろうか・・?ネズミ害を回避する何かいい方法はないものか・・これといった対策もしてないくせに誰か名案があれば教えてほしい・・などと都合のいいことを思っている。

 エネルギーと食糧(急に話題が替わります・・)が、今とこれからのキーワード・・では・・・。
 月周回衛星「かぐや」からの鮮明な地球の映像は美しく畏れ多いほどに神々しくさえあり、闇の中にぽっかりと浮かんでいる様は神秘的で不思議な感じがした。宇宙ステーションの「きぼう」って遠い将来には人間がそこに住むようにするっていう実験なんでしょうか・・・??
 温暖化で北極の氷が融け北極熊の生息が危機になってる・・というTVの番組をみて怒りを覚えたI 女史が、アルコールも手伝いまた酔うとメール魔になるとかで、H氏に宛てたそのメールに、「人間誰しもが、社会の諸相に対して怒りの斧を振り上げているだろうが、H氏のような年配者は、その振り上げた斧を、どう始末しているのか・・・」とか書いたというのを聞いて、「え〜I さんてそんなに怒ってるの?こわい〜」とかつい言ってしまったが、それに対するH氏の答えは「・・怒りの矛を振り上げっぱなしの運命論者、そんなところかもしれない。・・・どう考えても世界の人類の中の one of them でしかないのです。同罪です。・・・小さなことでもいいから実行する・・・私が出せる答えはこれしかありません。・・・」

 思えば(?)、私が農業をしたいと考えた一つの理由に、労働を売って(という言い方もなんですが)パンを得るなら、いっそ自分でパンを作ればいいじゃないか―ということでもあった。その当時出版された有吉佐和子さんの『複合汚染』を読んだこともあってそれなら無農薬で・・と。そう思ったら、偶然なのか必然なのか(まあどっちでもいいだろうが・・)そんな情報がすぐに目に止まり、これだと思うと意外と?行動力があったようで、トントンとここ信州長者原で農業をするようになってしまった(なった?)。
 またまた思えば(別にもったいぶって思わなくてもだが・・)、人間どんな悲しいことがあったってつらいことがあったって・・、毎日食べることを止めるわけにはいかない。地球の人口が将来80億100億になるとか・・・。生きていくためにはパンが要る。「今の社会に抱く漠然とした、しかし消しがたい不安感」(H氏) そう感じる人も多いと思う。不安感ばかりが助長されてもいいことないかもなのだけど、だけど・・・・、食糧はいったいどうなるんですか???・・・(誰に言ってんだ?) つい私も‘怒りの斧’を振り上げたくなってしまいそう・・・。

 ガソリンが170円を超えて200円になるとかの話も・・・。まさかこんな価格になるとは・・・。公共交通機関がなく車が脚のところに居るから、車に乗らないわけにはいかない。原油が投資の対象になってる・・から? ・・・何が何だか・・・?? だが、石油エネルギーに依存し過ぎていることは確かなのだろう・・。かといって、どこに行くにも歩いていくか・・というそんな流暢な?社会でもなし・・。
 ここのところ以前よりスピードを出す車が減ってけっこう皆燃費のよい走りを心がけているんだろうか?・・とか感じたのだがどうだろう・・。

 野口健さんが何度かの挫折のあと、もうこの後はないというプレッシャーを抱えてのエベレストへの挑戦の時、登山の師にあたる人が野口さんに「 no thinking 」 と言ったそうだ。
 日頃なんだかいろいろと余計な??考えなくてもいいことは考えるのだが、本当に考えなければならないことは何なのか・・・・・。本当に大事なことは何なのか・・・・・。
 ひょっとするとそれはそんなに多くはなくシンプルなことなのかもしれない。
 


 



















HOME  「気まぐれなエッセー」トップに戻る