NO WAR  3月29日’03

 冬中雪に埋もれていた長者原も、ここに来てようやく最高気温10度を超える日が続いて、一気に雪解けが進み、畑の黒い土がようやく表れてきた。
 まだ耕せるまでに乾くには、何日かを要するけれど、畑に出て土と‘戯れる’のが待ち遠しいような気持ちになる。「身土不二」を実感する時―。それは二つの意味で・・。土から生れたものをいただくことと、もう一つは、土に接しているとなぜか安心するという感覚において―。

 土を耕し、種を蒔き、成長を見守り、自然の恵みに感謝しながら(普段は・・とかこの際言わないことにして)収穫物をいただく――ということだけで事が済めば、単純明快、平穏安泰天下泰平に時が流れていくのだろうと思う。いみじくもかの福岡正信さんは「農業は、祈りであり最も神に近い」というようなことを言われている。

 ・・・のだけれど、現実にはそんなふうに事は簡単にはいかないようにできている。社会という巨大な‘生キモノ’は複雑怪奇にして、縺れた糸が縦横無尽にこんがらかってますますもって縺れに縺れていく・・という様相を呈している。

 戦争に反対する多くの人々の願いを踏み躙って、アメリカがイラクを攻撃している。戦争は、いかなる理由付けをしようと、どこにも正義など存在しない愚行でしかないと思う。そうでなければあまりにもやりきれない。時に残虐なことも行われる独裁政治も許せないけれど、性急に戦争をしなければならない理由などどこにもないと思う。
 
 映画やゲームなどではない現実の戦争が、お茶の間のTVに映し出され、あたかも野球の解説でもしているかのように、アメリカのイラク攻撃の‘戦争の解説’が行われる。ともすれば「またか」という感じで、知らず知らず神経が麻痺し、思考停止の状態に陥ってしまいそうである。
 
 破壊と殺傷の戦争などを行うようになるために、女性は身ごもり命を産み命を育み慈しむのではない。
 そういえばフィンランドかどこかで、戦争に反対するために今後何年は子供を産まない―という運動を提唱しているグループがあるとか・・・。母性は絶対に戦争などとは相反するところにあるはずだから、けっこう肯けたりもする。

 確かなのは、どんなことががあろうともどんな状況でも人は食べなければならないということ。
 住井すえさんが「皆農民になればいい・・・」とかちょっと極端にそのようなことを言っていましたが、この複雑な社会でそのようなことはあり得るはずもないけれど、もしそうなら戦争など起こらないでしょうかしら・・?? 衣食足りて・・・とか言いますけれど・・・。
 
  

HOME  「気まぐれなエッセー」トップに戻る