「たそがれ清兵衛」  1月6日’03

 長者原では今頃には近年にない大雪。標高が1000mに限りなく近い所ということは、山岳気候といってもいいのかもしれないから仕方がないのかどうか・・。望月の中心部は700mほどだが、1000mから下って行くと、雪の量がもうほとんど1/3以下でまったく違う。
 今日など所用で下ったところ(下る・・というところがまた―)、車に凍りついた雪を張り付かせて走っているのは私の車だけ。さぞかし「どこの山から来たのかいな――」なんて思われているんだろうな・・という感じでありました。
 長野県はけっこう南北にも長い県なのだが、長者原の辺りはどちらかというと太平洋岸の気候と思っているのだが、その太平洋岸の気候で今頃この大雪は、やはり? 温暖化の影響?? なのでしょうかしら?
 
 大雪とはまったく関係ないが、過日、山田洋二監督が初めて撮った時代劇の「たそがれ清兵衛」を観た。
 藤沢周平の原作ということですが、藤沢周平は山形の鶴岡のご出身ということで、山形県鶴岡近辺でのロケが多かったが、そのロケがなんと!? 望月町でも行われたのです。
 望月町の茂田井という地区のはずれの田んぼの横に、正面の方だけが作られた茅葺きの何棟かの民家を見に行ったりもした。残念ながら実際のロケの時は見に行けなかったが・・。
 「大沢酒造」の白壁の土塀のところでもロケをしたということだが、映画では夜のシーンで周りの風景は何処だかさっぱり―という感じだったが・・。
 ある雑誌に監督と林真理子氏との対談の記事が載っていた。清兵衛の家のシーンは京都の撮影所で撮られたとか。それじゃあ茂田井のセットはどこのシーンだったの?と気になったりする。映画の背景がこんなに気になって観た映画ってあったかしら・・?

 貧乏でもあれほどに純粋で気高い精神(林氏)、「志と言ってもいい」(山田氏)ものを、今なぜ時代劇で表現されたのでしょうか・・?山田氏によると「今はそれが消えた時代だから。」

 映画は、莫大なお金と労力と時間をかけて何かをアピールする総合芸術だろうと思う。
 山田洋二監督の映画は、人間に対する眼差しがとにかくやさしく温かい・・・と感じる。

 暗がりの中での、意に添わないが引き受けなければならない果たしのシーンは圧巻であった。・・・が、余裕があるはず? の清兵衛の方が随分息が上がっていたようなのが気になったり、最初は、「今まで尽くして来てなんで殺されなければならないんだ。逃げる。逃がしてくれ―。」と言ってた相手が、「酔ってその足つきでは俺を倒せない・・」とか清兵衛が言った途端に刀を抜いて―というのが、やっぱり男はプライド―のような感じに受け取れて面白かった―というかなんというか―であったが・・・。
 こんなふうに観る私の精神は“気高さ”からは程遠い―なぁ・・。やっぱり―。
 
 寅さんがお正月に観られなくなって、時代も何だか閉塞的になってきた感じで―。
 なつかしいな――、寅さんが・・・。


 

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