土と共に  1月1日’03

 生まれ育った山形の米沢は、子供の頃は今より雪が多かった。
 朝目覚めると、シーンとして障子から差す光がいつもより明るい・・・という時は初雪が一晩に1メートルも積もった朝である。ワー、雪だ―。ほんとに真っ白な綿のような雪だ。なんだか嬉しくなって外に飛び出し雪の感触を確かめる。
 それからは、春になって雪が解けるまで雪の中での生活になる。もちろん今のような車社会ではなかったから除雪も必要最小限だけ。一冬に何日かの猛吹雪の時は、家の中で家族が寄り添って過ごした。
 雪の期間は長かったが、子供たちは雪を友達にして雪の中を転げ回って遊んでいた。
 それでもやはり春は待ち遠しい。川の水が温んできて雪解けの水音が心地よく耳をくすぐると、川辺の土の中からふきのとうが顔をのぞかせる。白一色だった雪の下から黒い土がちょっと見え、雪解けの清んだ水がちょろちょろと流れている。幾つぐらいだったのだろう。子供心に「あぁ― ・・」と見入って感動したことが、未だに心の片隅に残っている。

 そのことをいつぞや人に話をしたところ、へ〜そ〜〜〜お・・・と何だか信じてもらえなかった。
 まあ無理もないか・・、この車社会で雪が降ればたちまち除雪車が道の雪をどかしてくれるし、土も見えないほどすっぽりと雪に覆われることなど想像できないだろうから・・。
 でも解る人は解るんですよね。あの春に土がのぞいた時の感激が・・。(私にとって鮮明なのは子供の時のあの一瞬なのだけれど―)

 今無農薬の野菜作りをして土に触れる生活をしている。
 そして土に触れることは、どこか安心感のようなものがあることを感じる。
 もちろん食べることは、生物が生きていく上で基本的に必要不可欠なことであるから、食べものを作っているという安心感もあるのかもしれない。
 が子供がどろんこ遊びが大好きなように、土に触れることは何か根源的なことであるようにも思う。
 今はやりの!?言葉では、土に癒されるとでもいえるだろうか。

 有機農業とは、作物を育てる土作りを、化学肥料などに頼らずに、有機物を発酵させた堆肥や植物残渣や根などで土を作り、土の中の小さな生き物、微生物、土着の菌類などの繁殖を促し、土の力によって作物を育てるやり方のことと解釈している。
 人間が育てるというより、土が作物をそだてるのである。土から作物を搾取!するのだから、また土に不足分を返してやらなければならない。その返し方が土作りといえるだろう。
 化学肥料では小さな生き物や微生物、菌類などは育たないといわれる。

 畑は自然ではない。人間が加工したものである。自然環境では、一種類だけが同じところにというのはなく、いろんな種類の植物が重なり合って育つ。
 有機農業もそれに近い形でいろんなものが育っている・・というのがいいのだろうと思う。
 思うが、野菜を育てているのだから、別の草たちがあまり旺盛になられては困る。そこら辺がたいへんなことになってはくるけれど―。
 
 山田洋二監督の「たそがれ清兵衛」はよかった。
 その中の清兵衛のせりふに「・・作物を育てるのは子供を育てるのと同じくらいの楽しみがあります。・・」というせりふがあった。そうだそうだ――なのである。

 作物が育つというのは、太陽や雨や空気やいろいろな恵みを受けて初めて育つ環境が整うのだけれど、土はまた大事な要素だし基本だろうと思う。土から育ったものを食べて、人はその土に還る・・。
 あの雪の下からちょっぴり黒い土が見えた時の感激、あの感激を味わい知っているというこは、私にとって小さくはないのだろうと思う。
 土に触れて土と共にまた新たな一年が始まる。
 難しいのはむしろ人間との関係― !?。身近な人が一番難しかったりして・・・・。ここら辺が微妙なところで・・・。目をつぶることも大いに大いに必要かも・・・です。はい。
 

 

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