屋代村塾   9月21日’04

 なんという居心地のよさなんだろう―。
 おそらく人間の根源であろう深い哀しみを内面に奥深くおさめて、そして正も負も明も暗も確実に備えた人間の性
(さが)を充分に承知もして、その上で殊更テンションをあげるでもなく、そこにいる皆がごく自然に在る――というような・・・。
 おそらく自分の内面を視つめつつ、共感しあえる多くの部分で周りの人間を体全体で感じ承認している・・・というような・・・。
 「やー!」「おー!」だけで、眼を見て微笑みあうだけで、それだけのことで、幾百幾千の言葉を積み上げたように・・(言葉をいくら交わしたところでこのようにはいかないこともあるだろうけど・・・
、なんだか「そうかそうかー」(いろんなニュアンスを含めてー)という感じで解りあってしまう―というような・・・。
 6年ぶりほどにお会いした方が殆どで初めてお会いする方もいたが、そこに今自分の身を置いていることがとても居心地がよかった。――これはなんなのだろう――。

 山形県高畠町の「屋代村塾」10周年記念式が9月19日に行われ出席してきた。
 それと併せて、屋代村塾を開き、志半ばにしてあまりにも早いご逝去であられた早稲田大学教授(当時)大塚勝夫先生の7回忌ということで、参集された人たちで先生のお墓参りをした。村々や近く遠くの山並みも一望にできる小高い丘の上で、多くの示唆を残して逝かれた先生がまだその眼差しを注いでいられるようなそんな気がした。


 「共生」。「農的生活」。
 先生が残したキーワードはこの二つだと思う。これはそれぞれの人がそれぞれの場で心に刻みそしてそれぞれに膨らましていくことのできる言葉だと思う。
 人と人。人と動物。人と自然。農村と都市。西と東。北と南。若者とお年寄り。女性と男性。体に障害のある人とそうでない人・・・・
それぞれの共生―。
 農業に実際に携わることから、週末農業、農業食べものに関心を示す・・まで、農的生活も幅が広い。
 

 先生の存在と残していかれた言葉が核となって共有し合える想いを抱いて人が集まる。
 「今この時間と場所を共有しているということはとても意味があるすばらしいことだ―」と発言のなかで強調していた方がおられたが、おそらく皆がそういう思いでそこにいたのではないだろうか・・。
 「ここは自分を視つめる場所でもある―」と言っていた若者もいたが、やはりこれは単に場所だけではなく、そこに集まってくる、立場としては迎える側になる高畠の人たちが懐が深く魅力的ということでもある。しかもそれぞれに無理にならない自然体で・・。少なくとも私にはそう映った。
 自然体でいる在るがままに在ることがどういうことかはつきつめないでおくことにして―。

 その日感じた居心地のよさは、たぶん条件がそろった―ということの居心地のよさでもあったのだろう。その日の気分、身体の状態、服装(これでなんとなくぎこちなくなったりもするので・・)、もしかして天候、季節、舞台装置(ハード面、ソフト面)・・などなど。そしてもしかして・・・・・・・。

                                  <十周年記念事業の写真
                                      屋代村塾
 

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