選挙は・・?  4月15日’03

 思っていることを言葉にして伝える―というのはけっこう難しかったりする。言葉にすると「何かちがうな―」とか、また急に色褪せてしまったり・・ということがままあったりする。でもやはり、あえて―というか、言葉にする努力(?)はしなければならない。直接互いの表情や目を見て言葉を交わす――というのが大事・・というのは、言葉にできない・・、または言外に含まれていることなどを感じ取れるから・・ということがあるのだろうと思う。そんなことを踏まえていただいて以下を・・・。(何をごちゃごちゃ・・かな??)

 「誰がやっても同じじゃん―。戦争は起きるしさ―、アメリカにくっついているだけだし―。戦争があったって、お笑いとかやってるんだよ・・。原発だってさ、もっと風とかさ太陽とかさ、もっと小さいエネルギーを使えばいいじゃん―。人間が自然を壊しているし・・・。」
 「選挙にいかないの?」と聞いたら、近藤くんはそんなふうなことを言った。そして結局(やはり)近藤くんは選挙に行かなかった。
 いろいろと考えてはいる。社会に関心がまったくないというわけでもない。でも選挙には行かない。面倒くさい―とかそういうニュアンスでもなく、またそういう言葉は出てはこない。
 「選挙って民主主義の基本じゃん、勝手にいろいろ決められてしまうよ。考えが近いな―という人に入れなくちゃ―。それとも近藤くんが議員にでもなる? いろいろ自由に主張していい時代なんだからもっと外にそういうこと主張すればいいじゃない?」・・・どうもなんとも我ながら説得力がない。
 「俺なんか言ったらつぶされてしまうよ―」「誰に・・?」 いわゆる“世間”を言ってるのかしら・・?
 
 近藤くん(K君のこと3月30日’02)には、今月4月から農作業を手伝ってもらっている。しっかりものの素敵なパートナーと一歳の男の子がいる。
 「都会でさ飾ったり遊んだり・・って疲れたよ。そういうことってもういいね。もっと山とか川とか森とか知りたいな―って思う。もっと山の中がいいな・・。自給自足っていうか―、そんなふうにやっていきたいよな・・」
 近藤くんは今の既成の社会の枠に囚われずに生きたい、文明とかいうものからなるべく離れた暮らし方で―と思っているようだ。
 60年70年代初めのヒッピーと呼ばれた生き方に近いのかも・・。そして一方の60年のあの安保反対闘争(私は直接は知らないが)も70年のささやかな集会も、アカシアの雨に打たれて、今は昔・・・。

 「そう思ってるんなら思ってることをやってみればいいじゃない―、どこまでやれるかね・・。でも現実は現実として受け入れなければならない事ってあるからね・・。」――などと大人のような?ことを言いながら、これがけっこう私も解るところがある。かつて私もそれに近いようなことを思ったことがあるのだ。そして農業に辿り着き今にいたっているのだが―。食べるものを作って暮らす生活は、私にとってはより自然体で生きられる思い描く最良の生き方―と言っていいのかもしれない―とさえ思っている。なら些細なこと?には目をつぶればいいのだが、そこら辺でまだまだ修行が足りないところもままあるのではあります・・が。

 それにしても「戦争は起きるしさ―」と言った近藤くんの言葉が耳に残る。
 独裁者といっても、孤立無援でたった一人で独裁者になれるわけでもないでしょうから、そういう素地がその国にあったということなのだろう。独裁者も悲しいし、戦争ももっと悲しい。いったいこのためにどれほどの命が失われたのだろう。
 生き方も何もすべて平和であってこそ――。
 

 
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